4Life健美人 日記
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[No.32] 思い出の日記 投稿者:   投稿日:2005/04/26(Tue) 05:23
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今、「日記」がブームだという。
ある作家のHPの「日記」を見たら、なんと交友関係で実名がびっしり書かれている。
誰と何処其処のバーで何時まで飲んだとかまで、あけっぴろげなのには驚いた。

・・・と、人様の日記はおいとくとしよう。
自分の「日記」がずいぶん空いてしまった。
書くことは、いろいろあったし、又書き溜めてもいた。
日々電話やメールで、「トランスファーファクターで良くなりました」と、嬉しいお話も沢山ある。
だから、書くことがなかったと言うことではない。

中学生の時、体操部の顧問の口癖だった。
「時間がないというのは理由にならない。なぜなら眠る時間があるはずだ!」と。
それ以来、何かをするときは眠る時間を削ってするのが当然と、単純な私は素直に思った。
実際、若い頃は徹夜も平気だった。
ところが最近は、歳の所為か、眠るのを削ると翌日に堪えて、生活に支障をきたすので、それもできなくなってきた。
単純に実行できるのは、若さの特権なのだろう。

話を日記に戻そう。
私はいつから日記を書き始めたのだろう。
子供の頃の夏休みの絵日記が、最初になるのだろうか。
次は、誕生日のプレゼントにと姉が買ってくれた、鍵のついた白い日記帳だった。
人に読まれないように付けられた鍵だと思うとワクワクしたが、書くことといえば単純な
行動記録に近いものだったので、鍵など必要あったのかと、今思い出すと可笑しくなる。

中学生の頃読んだ「アンネの日記」には、強い衝撃を受けて、友達と回し読みをした。
そして「愛と死を見つめて」の大ブームで、交換日記が流行った。
私のクラスでは個人だけでなく、グループでの交換日記も一時流行った。
今に置き換えれば、メール交換に似ていなくもない。

中学校を卒業した春、父が癌で亡くなった。
死後、病床で書き溜めた父の日記が出てきた。
そこに書かれた私の反抗振りが、絶筆になっているのを読んで、私は深く悔やんだ。
父の葬儀と高校の入学式とが重なった私は、涙も忘れていた。
それ以来、私は日記から遠ざかった。


そんなことを思い出しながら、ぼんやりしていると、朝の光が庭の草花を照らし始めた。
山吹が散り始めたのと交代するかのように、今年も牡丹の花が咲いた。
先週、順番に膨らみ始めた四つの蕾が、それぞれ見事に咲いている。
一つの枝から三輪と、その横から枝分かれして一回り小さいのが一輪咲いたのが、なんだか孫のように思えてきて、一人苦笑する。

夜来の雨に、幾分頭を下げながらも、花びらを落とすことなく揃って四輪並んで咲く鮮やかなピンクの牡丹。
去年は2輪咲く様に、幼い頃の子供たちを思い重ねたが、
さて来年は、牡丹の花が何輪咲いたと日記に書けるだろうか。


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