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[No.37] 心を亡くした日々 投稿者:yofa  投稿日:2005/08/17(Wed) 14:59
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心を亡くした日々
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7月末の日曜日、神戸で加藤周一さん(プロフィール下記参照)を囲んでの小さな集まりがあった。
小さな集まりではあったが、「東アジア共同体」の未来を考えるという大きなテーマであった。
加藤周一さんはこれまでのご自身の中国での交流を踏まえて話された。
当日、先生とご一緒にパネラーとして発言された、ワンコリアフェスティバル実行委員長・鄭甲寿氏は、韓国・蔚山から前夜戻ったばかりという”ホヤホヤ”のニュースと共に、2000年6月の南北コリアの共同宣言発表から5周年を記念して、北朝鮮・ピョンヤンで開催された「6・15統一大祝典」に参加された模様など、6、7月と続けて南北コリアを訪問された運動家の視点で、東アジアの潮流を語られた。
その"若い"活動家の報告に、真剣に耳を傾けられる加藤先生の真摯なお姿には、知性の根源を垣間見た思いがした。

加藤先生のお話は、当日のテーマからお得意の分野へと、自由に行き来する。
漢字は表意文字なので、東アジアの共通言語になりうるかという提案から、文字の成り立ちにまで話は及んだ。
会場を移した二次会では、食事をしながら、参加者の多岐に亘る質問にも、精力的にお応えになられた。
司会者の説明では、加藤先生は前夜(土曜日)には、憲法9条について数百人を前に語られたと言う。
そして、翌日の午後から夜に掛けての長丁場である。
前夜の集会にも参加された主催者の補足で知ったことだが、加藤先生は、講演で二度と同じ話をなさらないそうだ。
毎回そうであるように、昨夜と当日の話は、全く別の内容だったのは云うまでもない。
それを伺って、老齢にも拘らずなどとはとても言えない、加藤先生の肉体的・精神的バイタリティーに、改めて畏敬の念を覚えた。

帰路、参加者とともに大阪に向う電車の中で、いろんな思いが去来した。
この2ヶ月、私にとって実に忙しい日々だった。

5月末に始まったLDK兼仕事場のリフォームの、完成したのが、6月下旬。
そしてその日は、作家である親友が初めて書き下ろした劇作品の公演日であった。
加えて友の娘が主演するのもあり、部屋の片づけを中断して、夫と観に行った。
京都の友人夫婦も来ていて、終わってから食事にでもと誘われたが、片付けがあるからと失礼した。

翌日、部屋の片付けに追われているとき、親友から劇の感想を聞かせて欲しいと、電話がかかってきた。
重たいテーマの芝居だったのもあり、言葉を選んでメールで送るからと、電話を切った。

実は、祖父の祭祀が2日後に迫っていた。
LDKのリフォーム中も、当然、隣の部屋で仕事をしていた。
パソコンや仕事関連の書類の移動は当然ながら、空き部屋に詰め込んでいた鍋・釜・食器などを、新しい台所に仕舞うのにも、思いのほか時間を要した。
片付けながら、祭祀用の食材の乾物類を水に戻したり下ごしらえ等、簡単な事なのに時間はどんどん過ぎて行った。
1〜2時間の仮眠の後、早朝、鶴橋の卸売り市場や御幸通り商店街で、肉や魚や野菜などの食材を買い揃えた。
朝から料理をし始めて、夕方ぎりぎりに出来上がった。
尤も、己の不手際を恥じるのはいつもの事だが・・・。

祭祀も終わってホッとして、新たな気持ちで仕事場の整理をしながら、慣れない空間の制覇に躍起となっていた。
気になっていた親友の劇への感想を、幾度か書き始めたもののまとめきれず、その内会って話そうと、己に言い訳していた。
そうしている内、実家の母が入院したと、連絡があった。
いつも、兄や姉に任せっきりだっが、ここは私の出番だ。
【トランスファーファクター】と【TFリオヴィーダ】を持って病院へ走った。
状態が落ち着いたのと、安堵も手伝って、久し振りに親友にメールを送った。
すると、長らくメールをしなかった私に対して、抑えた表現ながら寂しさと怒りを秘めた返事が届いた。
応えた。
己を悔やんだ。

加藤先生のバイタリティーを思い出しながら、己の不甲斐なさを、改めて噛み締めていると、苦いものが込上げて、喉をひくつかせた。
忙しいとは、心を亡くすと書くが、忙しさを口実に、やるべき事を先に延ばして、多くの失礼を重ねてしまった。

車窓に広がる夜の街を見ていると、ある言葉がふいに思い出された。
 「堕落は挫折からは始まらない。挫折を自己正当化することから始まる。」
その昔、愛読した高橋和巳の『孤立無援の思想』の一行だ。

忙しさをもって正当化しようとした自分の弱さ、狡さをとても恥じた。
心までは亡くさないようにと、心する日々である。

※加藤 周一 (かとう しゅういち)
1919年9月19日、東京に生まれる。東京帝国大学医学部で血液学を専攻。医学博士。
幼少から読書に親しみ、フランス文学や日本古典文学に深い関心を寄せる。
戦後、留学生として渡仏し、医学研究のかたわら西欧各国の文学を摂取したことが、日本文学の特徴を考えるきっかけとなる。
カナダ、ドイツ、スイス、アメリカ、イギリス、イタリアなどの大学や、上智大学、立命館大学で教鞭を執る。