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[No.503] 戦後62年の夏 『ヒロシマナガサキ』〜沖縄『ひめゆり』 投稿者:岡田 麗和  投稿日:2007/08/16(Thu) 18:46
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戦後62年の夏のお盆休み。
毎年どこかへ避暑に出かけてきたが、今年は用事もあり、ずっと大阪にいた。

昨日(8/15)、淀川を越えて十三(ジュウソウ)にある「第七藝術劇場」※で、映画を2本観てきた。
http://www.nanagei.com/ 
『ヒロシマナガサキ』(監督:スティーブン・オカザキ)と、『ひめゆり』(監督:柴田昌平)である。
もう1本『TOKKO−特攻−』(監督:リサ・モリモト)も観たかったが間に合わず、次の機会に観る事にした。

「日本国民が味わった、戦争の悲惨さ、残酷さ、絶望が、風化しようとする」事への危機感を、
第七藝術劇場の支配人:松村氏は、次のように呼びかける。(まま)

「・・・略・・・
世界で唯一の被爆国・日本になった広島、長崎への原爆投下により、何万もの非戦闘員の一般住民が、
灼熱の地獄の中で命を落とし、戦後も被爆者として想像を絶する苦悩に向き合い続けてきました。
戦後長く沈黙を続けてきたそれぞれの生存者の「今、伝えなければ」という切なる想いと、柴田昌平監督、
リサ・モリモト監督、スティーブン・オカザキ監督たちの「今、作らなければ」という焦燥感にも似た想いが呼応し、
共鳴しながら3本の貴重な傑作ドキュメンタリー映画が産み落とされたのです。」


映画『ヒロシマナガサキ』では、冒頭で、「8月6日は、何の日ですか?」「8月9日は・・・?」と街行く人に問う。
インタビューされる若者達の誰一人として、応えられない現実が映し出される。
今の若者が、知らない、学んでいないのではなく、知らさなかった、教えてこなかったことを、映像は物語る。
親から子へ、子から孫へと、大切な事を伝えてこなかったことを、「これでいいのか!?」と、若者の無知が問う。
問われているのは、親であり、教師であり、学者であり、政治家であり、メディアであり、社会を構成する私たち一人ひとりの生き方そのものである。

歴史の教訓を受け止めることなく、エゴに走り、享楽に現を抜かす私たち大人の責任は、
この国の次世代を受け継ぐ若者たちに、なんと申し開きをしようとも、自らが許されるものではない。
「何故教えてくれなかったの?」と聞かれて、「私たちも知らなかったのよ」「関係ないから」などとは、決して言えないのが歴史である。


映画『ひめゆり』は、「ひめゆり部隊」の生存者へのインタビューを、1部、2部、3部で構成される。
1945年4月1日の米軍上陸で、本格的な地上戦が始まった沖縄。
4月28日、首里城跡に星条旗が翻った時点で、戦闘(戦争)は終わるかに見えた。
ところが、大本営は本土決戦の先延ばしのために、沖縄戦の継続を決定した。

当時15〜19歳という若さで”看護班”として召集された「ひめゆり学徒」たち。
彼女たちの赴任先は、壕(ガマ)に急ごしらえの野戦病院であり、そこは戦場そのものであった。
何もかもが不足する中で、彼女らに与えられた任務の最後は、米軍の銃弾や火炎放射器で命を落とすか、「自決」するかであった。
当時を振り返り、生死を分ける偶然性も含めて彼女たちは、”生き残された”と自らを語る。
半世紀を経てなお、まるで昨日の事のように、心震わせ血を吐くように、死んでいった友の名を呼ぶ。
そこで何があり、何が行われたのかを、「知らなかった」では到底許されないことに、私たちは気付かされる。

「ひめゆり学徒」たちも、今や多くは80歳を超える高齢者である。
映画『ひめゆり』は、13年の時をかけて、22人の生存者の”命の証言”を集めたものである。
証言者の映像が終わった最後に補足として、これまでに3人が亡くなられたこと、未だ証言する事ができない20人の生存者がいるという説明に、私は涙を堪える事ができなかった。

2本の映画に収められた歴史の証言者たちは、加害者の責任を鋭く問う。
米軍は原爆を落とした後に、被爆者を調査はしたが、治療はしなかったと証言する。
徹底抗戦を叫び、多くの人々に無残な犠牲を強いた日本軍部と、未だ被爆者援護を先延ばしにする日本政府の責任を、生き残された人たちの証言が問う。

若い女学生たちに、どうすれば生き延びられるかではなく、手榴弾で確実に死ぬことを教えた日本軍。
米軍に追い詰められて退却する時に、負傷者に「何か」を飲ませて戦友を殺した日本軍。
「米兵に捕まれば、陵辱されて殺される」と、日本軍兵士から教えられてきたはずが、怪我をした自分たちを治療してくれる米兵を見て、訳が分からなくなったと、当時を振り返る。
後で多くの学友達が「自決」したと知らされて、”教育”は恐ろしいと、「ひめゆり学徒」の生存者はしみじみと語る。

朝鮮、中国、東南アジア、太平洋の島々、沖縄、広島、長崎へと辿れば、歴史が浮き彫りにされてくる。
これらの証言の前では、いかに鈍感な感性や、詭弁を持ってしても、歴史をごまかす事はできない。
歴史から学ばない国に、未来はないと心した、私の夏休みである。 


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